文明史的転換点

「北京で一羽の蝶々がはばたくと、ニューヨークでハリケーンが生じる」、過去の「北川のつぶやき」でもお話したが、ミクロの“ゆらぎ”がマクロを制したという、科学の世界でバタフライ・エフェクト(蝶の効果)と言う有名な例え話である。

一羽の蝶のはばたきは、ごくわずかなエネルギーしかないのだが、それが寄り集まってハリケーンが起こる。

ハリケーンの大きなものは水素爆弾15個分に匹敵するほどのエネルギーを発生させるそうだ 。

「北京の蝶々」を明治維新に例えてみると、150年前に我々は大きな経験をしていることに気がつく。

1853年にペリーが浦賀へ来たこと、それが「北京の蝶々」だった。

『太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず』、たった4隻が来ただけで、夜も眠れず、慌てふためいたのである。

すなわち、徳川260年、国内的には見事な、安定した一時代を築き上げてきたけれども、鎖国をしていたことで蒸気機関が発明されていたことを知らず、産業革命から取り残されていたのである。

4隻の蒸気船によって気づかされ、ゆらぎ、変わらざるを得なくなり、明治維新となっていった。

 明治維新を起こした最大の要因は、実は産業革命であり、科学技術が先に来て、それに対応するために社会制度が出来上がっていった。

つまり、科学と政治の世界は不即不離の関係にあるのである。

「太平の眠りを覚ます蒸気船」にいち早く反応したのが薩長土肥の若手であった。

時の幕府から見れば、「この小僧たちは、行儀も悪いし、京都へ来たら荒らし回る」という若者が社会を変えた 。

1868年に明治維新が起こるわけだが、新しい政府をつくったはいいが、どうしていいか分らない状態で、また「北京の蝶々」が飛び始める。

前島密が出て、郵便を整備する、森有礼が学制の改革を行い、科学技術によって道路や鉄道などのインフラが整備され、そして、明治維新から22年たって、明治憲法発布になるわけである。

科学技術が先にあり、それに合わせるために国家体制が出来上がっていったのである。

蒸気機関を発明した産業革命のもつ力、それを知らなかったがために、徳川幕府という体制まで潰し、明治維新を起こし新しい政府をつくらざるを得なかったということを、今まさに蒸気機関に匹敵するIT革命によって文明史的転換点に立たされている状況に対して真剣に考えなければならない 。

かつては、プロ野球球団のオーナーは、鉄道会社かスーパーかと言われていたのが、いつの間にかIT関連企業に取って代わった。

これが時代の変化であり、制度が変わったために古いオーナーはリタイアせざるを得なくなった。

好むと好まざるとに拘らず、良いか悪いかは別にして、この変化に対するリスクマネジメントをしていかなければ、企業だけでなく国までもが簡単に潰れてしまうのであ 。

一つの体制が長く続くと、習慣、思い込みによって、七、八割は動かされている。

制度が制度を補完し合う制度的補完性によって、“こんなものだ”という前提で動いていると、とんでもないことが実は起こっていることに気づかなくなってしまう。

思い込み、通念、常識と言うものを打破しなければ、取り残されてしまう。「北京の蝶々」になるか、「ハリケーン」に気づかされるか、すべては自分自身である 。

(再録)