「北京で一羽の蝶々がはばたいたら、ニューヨークでハリケーンが生じる」
複雑系の理論、カオス理論でよく語られる例え話である。蝶々のはばたきというごくわずかな気流の乱れが、巨大な嵐を引き起こす。
ミクロの“ゆらぎ”が予想をはるかに超えたマクロの変化をもたらす。そのような意味である。
ノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンはいう。
ある生態系が淡々と動いている間はその生態系を構成する分子は隣の分子しか見ていない。
したがって、いつもあること、昨日の続きが今日もあるという、同じ文法によって支配されている。
しかし、この生態系に突然異質分子が猛スピードで入り込むと、その生態系はその時から新しい文法によって支配される。
即ち異質分子によってその生態系を構成する分子がハレーションを起こし、隣だけではない別の分子と化学反応を起こすことによって、新しい文法に支配されてゆく。
日本は戦後、右肩上がりの中で制度を確立し、成功してきた。
しかし社会の前提が急速に変化する時代の中で既存の体制を引きずり、同じことを繰り返すことによって、日本は閉塞感に満ちてしまった。
この状況を打破するには、新しい異質分子が入って“ゆらぎ”を与えることが必要であろう。
異質分子が入ることによって、今までこんなものだと思い込んできた民主主義や資本主義、ひいては社会、政治、経済も大きく変わることになる。
例えば、民主主義の根源である選挙を考えた場合、日本の選挙において、選挙公約はどうであったか。
今までの選挙公約は、選挙のための公約、選挙までの公約であり、お互い破っても構わないとした公約であった。
民主主義の権化者たる総理大臣が“公約を破っても大したことない”と言った時に、マスコミも国民も大して怒らなかった。
公約なんてそんなものということだからであり、我々国民がつくり上げてきた日本の民主主義とはその程度だった訳で、ここで真剣に考え直さなければ日本に明日はない。
よって破るべき公約から守るべき公約、マニフェストを提唱し、昨年の統一地方選挙において、多くの候補者がマニフェストを取り上げて、マニフェスト選挙をつくり上げることが出来た。
このローカルマニフェストの成功物語をもって各政党にも従来の白紙一任、情実選挙から、契約による選挙に変えていただきたいと呼びかけて、総選挙においてもマニフェスト選挙が実現した。
マニフェストと言う異質分子が入り、各地域が立ち上がり、国を変えた訳である。
そして一部ではあるが、マニフェストが配れるように公選法改正という蝶々も飛びはじめた。
リンカーンの言葉「オブ・ザ・ピープル、バイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープル」という言葉の中で一番日本の民主主義に欠けていたものは「バイ・ザ・ピープル」ではなかったか。
「国民による」ということである。
官僚による官主導の行政・政治を民主主義と思い込んできたところに日本の未熟さがあり、実はマニフェストは自分達の国、町は自分達でつくるという意志があってはじめて民主主義は価値あるものになるということを提示したかったのである。
官主導による財政を通じた国による地方への介入が、いかに日本の民主主義をゆがめてきたか。
例をあげてみたい。ある町で一億円の公民館建設案が持ち上がった。
ここぞと町内の実力者は料理教室と図書館を併設すべきだと主張する。町長はこう言う。
それだと余分に一億円かかり、予算がない。実力者は言う。
国や県から補助金を取ってくればいい。町長は取ってこなければ落選なので努力をする。
町長の陳情の成果によって二億円の立派な公民館が完成した。補助金は二つの中央省庁から引き出した。
現行の仕組みに従うと、補助金ごとの入口をつくらなければ補助金はおりない。
結果、完成した公民館には要りもしない二つの入口がつけられた。
料理教室も年に二回行われ、本も月に数冊しか借りられていない。この二つの入口、無駄な施設が700兆円の借金になっている。
補助金を取ってくる陳情政治。
自立心のない、町の実力者の発想、これが政治行政だとしてきた制度こそ問題である。
補助金等で地方を縛る制度が続く限り、首長の仕事が補助金を取ってくることに多くの時間をさかなければならない。
この制度がある限り、中央省庁の補助金分配での権限が維持できれば、公民館に入口がいくつできようとお構いないしで、省益あって国益なしのゆがんだ行政が続いてしまう。
自治体も説明責任がどこにあったのか。
補助金で縛られているため町民に対してではなく、補助金のおりた二つの省庁に、国に、説明責任を果たしてきたのである。
この制度をなくすためには中央集権をやめることが大前提であるが、この町の場合、町長は次のように言わなければならない。
「料理教室、図書館を併設せよと言うのであれば、併設いたします。足りない分は町民の負担でお願いいたします。どちらを選ぶかは町民の判断です」と。
町民は議論の末、負担と受益を考えて、必要最小限のものに決定をした。
最も身近で負担と受益の関係が明確になる市区町村に権限と財源を移譲する。
権限と責任を明確にすることで自分自身が支払った税金がどのように使われているかがハッキリすれば、自分たちの町は自分たちでつくるという意識が芽生える。
そして首長も苦い薬の入ったマニフェストを掲げ、住民にも責任を与え、双方がウィン・ウィンの関係をつくり上げることこそが、自治体に求められている。
四十七都道府県、三千二百ある市区町村そして国民一人一人がそれぞれの責任のもと北京の蝶々としてはばたき、そのうねりが日本中を席巻すれば、日本が変わり本当の民主主義を確立することになる。
(再録)